私の病気の話(ちと重め)

こんにちわ。氷上です。
今日、彼女をたたき起こしたらメガネをぶっ壊されました。少しゆがんだだけで気持ち悪くなってしまう体質のため、朝からメガネ直しに行ってきましたよ・・・

本日、ようやくやり方がわかったので、彼女のブログをリンク集に入れました!
ついでに、ここでひとつ皆様に内緒にしてたことがあります。
実は結婚してましたー!
なので、彼女ではなく嫁という表現の方が適切なのですが(もっと正確にいうと妻か。)このサイトでは引き続き彼女で行こうと思います。嫁って表現だと二次元か三次元かわかんないからね!!

さて、今回は私の病気のことを少し話そうと思います。
嫌な話になるので、そういうのは嫌いな人は読まないで下さい。お願いします。

少し前に、アスペルガー症候群と診断されました。軽度のADHDもあるとのこと。
アスペルガー症候群や、ADHD、耳にしたことはあるでしょうか?
先天性精神障害、大人の発達障害、呼び方は色々ありますが、手足の欠損や知的障害のようなものです。
問題点としては、身体障害や知的障害と違って目に分かりにくい点でしょうか。

私の症状は、わかりやすくいってしまえば変人です。
・冗談や皮肉をそれとして理解できない。
・興味のあるジャンルが少なく、興味がないことには全く関心がなく、覚えられない。
・他人に関心がなく、興味がない。名前が覚えられない。
・同時に二つのことが処理できない。ピアノやリコーダーなど、両手を使う楽器が扱えない。
・球技が異常に苦手。走力などは人並みにある。
・人に説明するときに、必要以上のことを説明しがちで、話が長く迂遠になりがち(この箇条書きの多さとか)
・忖度が出来ず、言葉の意味を本当にそのままの意味でとらえるため、言葉のキャッチボールができない。
・空気が読めない。

このせいで、幼少のころから一部の人にしか理解してもらえず、苦労しました。
ただ、当時がそれが普通とおもっていたので、苦労というのは微妙に御幣があるかな?

まず、冗談がわからないんですよ。常に本気で言っている可能性を考慮しないといけないので、本当だった可能性の準備に追われることが結構ありました。
それと、なんでこの人はこんなことを言うのに、そのための準備をしてないんだろうとずっと疑問でした。冗談という概念を理解した後は、何かを言った後にその人がなんの活動もしなかったら、ようやく冗談だったのかってわかるようになりました。
リコーダーの授業は地獄でした。毎回居残りでしたからね。全く吹けないんですもん。「ピー」って音を出すだけで精一杯でした。指を動きを覚えても、1時間後には全く覚えてません。音痴なのも相まって、正しい音が出ているのかすらわかりませんでしたね。

英語の授業も同様でした。親の方針で小学校2年生くらいから英語を習っていたのですが、アルファベットを覚える以上のことはできませんでした。(アルファベットを覚えるのは早かったらしい。)受験のために、単語を覚えようと紙に書くんですが、覚えられたことは一度もありません。同じ単語でも、何度も辞書を引きました。辞書を引いた回数は覚えているのに、調べた単語の意味は覚えてないことに何度も泣きました。

クラスメイトの名前も覚えられませんでした。これはまずいと思い、小学校2年生くらいから、テストの答案の返却手伝いなどを率先してやったのですが、作業が遅く、先生から怒られ続ける日々でした。
クラスの半分も名前を覚えていればよくできていた方でした。

親は、子供の苦手を許してくれるタイプではなかったため、私の生活は苦手の克服のためにあったといっても過言ではありませんでした。
自転車に乗れないから自転車に乗る、球技ができないから野球をやる。本に興味がないから本を読む。英語ができないから一日8時間は英語の勉強をする・・・・。

私が、そんなのは嫌だ、といえばよかったのかもしれません。でも、周りはみんな出来ています。プレッシャーがありました。できないことに引け目がありました。そして、素直でもあったんです。親の言うことを真に受けてしまった。親が正義だと信じてしまった。自分より年上の人の考えが間違っているなんて、絶対ないと信じていたんです(この考えは30歳近くまでずっと続きます。)

つらかったです。担任の先生の名前を憶えられたことはありません。クラスメイトの名前も、もうほとんど覚えていません。いまだに、ゲームの話題を通してでしか人と話をすることが出来ません。いまだに英語の文章が読めません。あんなに勉強したのに・・・。

こんな自分が嫌だったので、新卒の時、初めての職業は営業職を選びました。苦手を少しでも克服したかったんです。ですが、結果は最悪といっていいものでした。
気づいたら、私の席がなくなっていました。社用車が支給されませんでした。社内で電話をしていると勝手に切られます。注文は、いつしか上司を通さないと出せなくなりました。月のノルマは、気づいたら私の給料と大差ない額になりました。でも、当時はそれが普通だと信じていたんです。仕事はつらいものだと聞かされてましたから、つらいのは当たり前なんだと、必死に食いしばって、毎日20kg以上ある資料を抱えて、営業に行きました。
まず、膝が悲鳴をあげ、階段を上ることが出来なくなりました。次に、拒食症になって、一日におにぎりを半分程度食べるのが限界になりました。食欲はあります。食べたいものがたくさんありました。でも、全然食べられず、何度も好きなご飯を廃棄しました。この間、半年しかありませんでした。そのころになって、ようやくこれが普通でないことに気づいたのです。会社をやめました。

そのあとも、ほとんどの会社ではうまくいきませんでした。
特定のところではうまくいきました。ただ、それは周りの人に恵まれただけ。同じ社内でも、異動などで環境が変わってしまえば全くうまくいかなくなりました。何度も体調を壊しました。何度も会社を休みました。何度も転職しました。
特に上司にはほとんど嫌われてましたね。私を慕ってくれる、指示を仰いでくれるバイトの方は多かったのですが、そんな時には決まって上司から「勝手なことを」を怒られました。作業効率は上がっているのに、なんで怒られるのか、いまだにわかりません。

最終的に、働けなくなりました。今から3年ほど前のことです。母は、許してはくれませ
んでした。
株をやって、在宅でもできるお金の稼ぎ方を模索しました。そして失敗して、親に言われました「だから働けっていったのに。」
そんな時に、好きな人が出来ました。好きな人に恰好悪いところを見せたくない。そういう思いから、再度会社に向かうようになりました。やがて、同棲しますが、すぐに働けなくなりました。それでも、彼女はそれでいいと言ってくれます。仕事が出来なくても、稼げなくても、それでいいと言ってくれました。私のことをヒーローだと言ってくれます。こんなに情けない俺なのに。

このころ、友人から、アスペルガー症候群が精神障害で、障害者として扱われることを知ります。そして、精神科にいって、今までの様々なことに納得しました。
親は結局認めてくれませんでした。私の病気のことも、彼女との関係も。
ずっとずっと、苦手なことをして、必死に普通になろうと生きてきました。でも、今は得意なことしかしないようにしています。多分、そうすることが幸せの一番の近道だから。
一番お金になりそうで、得意だった絵を改めて勉強しています。食べていくために。彼女にいつまでも笑ってほしいから。

ずっと、何もできないと思ってました。未来を見ろと言われても、苦手なことばかりで、うまくできないことだらけで見ることが出来ませんでした。でも、得意な方をむけば、できることはたくさんあることに気づけました。彼女がいなければ、ずっと気づけなかったでしょう。

だから、やりたいことだけをやれるように努力していきます。昔の癖のせいで、まだ何度も苦手なことに目が行ってしまいますが、自分のできることを、自分の伸びしろに期待して、頑張っていこうと思っています。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
こんな不愉快な文章に付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。
でも、私のことをしってほしかった。読んでくれて、ありがとうございます。

明日からは、いつもの気楽なノリに戻ります。ありがとう。
終わり。

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